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スタッフ通信 主任教授の独り言

主任教授の独り言
「現象学的明証性とエビデンスをめぐって」を読んで
 西研さんのHP(2012年9月6日)の「現象学的明証性とエビデンス」(http://www007.upp.so-net.ne.jp/inuhashi/)を読んでの感想です。英語のEvidence は、辞書に以下の説明がついていました。「あることが真であることを証明するものという意味ではproofがもっとも一般的で,疑問の余地がなく確実にという意味合いを伴う. evidenceはあることの真実を証明するに足ると思える事実や情報という意味で,しばしば,あることのしるし・表れという程度の意味になる」。Evidence の語源を探ると、語幹はラテンのvidere(見る)で、これにe-(外に)がくっついたもののようです。e-(外に)は、自然的態度の反映かもしれませんが、、。

 臨床医学の分野では、(英語のevidence だけでなく)日本語のエビデンスは、根拠、証拠という意味合いで使われます。医師からすれば、例えば、「治療法Aは治癒率90%と最も有効率が高いというエビデンスがあります」という使いかたになります。この根拠(エビデンス)をもとに治療法Aで治療したが、治らない。医師から「治療前に説明したように10%の無効例があります。ご自身で十分に検討され、治療法Aを自らの意思で選ばれました。しかし、残念ながらあなたは10%の無効例に含まれたということです」と医師から説明されたとしましょう。説明内容は事実だけど、何だか腑に落ちない気分になるのは私だけでしょうか。

 「エビデンスに基づいた診療の実施」は現在の医学教育で強調されますが、エビデンスを現象学的な明証性に置き換えることは可能であり、その方がこれからの医療にエビデンスがより役立つように感じています。

 西さんが指摘する「内的リアリティ」と繋がるエビデンスに向かう潮目の変化は、医療現場で実際に確認することができます。

 拙書「医療とは何か」(河出書房新社)で紹介した、外傷外科手術の一つであるダメージコントロール手術(DC手術)が医療界に広がる経過がその典型です。DC手術は、1980年代前半のいくつかの外科論文が端緒なっています。この論文の紹介の前に、臨床医学領域(外科・内科・小児科・救急科等々の患者さんの診療に関わる医学)の学術論文に対する(医学関係者の)理解の基本をご紹介しておきます。「統計処理の無い論文はエッセイである」。したがって、「学術論文ではない」というが一般的で理解です。数量的研究が基本だということです。

 さて、DC手術の端緒なったとされる米国の3つの論文には、全く統計処理がありません。患者年齢、手術時間、手術中の出血量・輸血量の平均値と標準偏差という最も基本的な統計データさえもありません。何例かの手術例を、その臨床経過を手術内容を含め、これを淡々と記載しています。量的研究手法は一切使わず、その意味では質的研究の範疇にはいることになります。旧守的発想からは、エッセイの典型で臨床医学の専門誌からは排除すべきものでしょう。

 しかし、外科医、それも外傷外科に関わる医師であれば、書かれていることが“淡々”どころか、アリアリとした現実感をもって受け取ることができます。「なるほど、確かにそうだ。この方法は活かせる」ということを実感することができるのですが、これは西さんが紹介した保育士の「エピソード記述」と重なります。これら3論文は「エピソード記述」の役割を果たしているということです。

 この3論文が米国の外科医だけでなく、日本の私たち(外傷外科に関わる医師)にも「エピソード記述」として、現場で起こっていることを体験でき、これを契機に創発的な体験が広がります。これこそが公共性の芯をなしているのだと思います。

 この3論文はDC手術という言葉は使われておらず、その概念もまた医学用語もなかったということです。この論文を契機に一気にDC手術という概念が結晶化します。3論文は米国のトップクラスの外科専門誌に掲載されています。「統計が無い論文はエッセイだ」と排除する空気がある医学界ですが、少なくとも米国の外科領域では、「内的リアリティ」をエビデンスの一つとして受け入れ、他の人々にも伝わるように記述したものは、審査(peer review)により学術論文とし専門誌に掲載する力があるということです。この場合、審査員は学術論文を、「互いに共通するもの」を、「リアルなもの」としてくくりだして、そこの公表すべき(公共性を持つ)ものと捉えているということです。

 残念ながら日本の外科領域では、現場に密着し「互いに共通するもの」を、「リアルなもの」としてくくりだし、広く共有できるものとして記述することを評価する力量は米国よりも劣っていると認めざるをえません。

 「医療とは何か」で紹介した、手術書「トップナイフ」が日本では書かれなかった理由と相通じることだと思います。これは日本で外傷に関わるものとして、自戒をこめたコメントです。

 エビデンスを客観的な証拠・事実とみるのではなく、現象学的な明証性と読み替えて使うことは臨床医学・医療の分野で可能だと思っています。医療者が馴染んだ言葉に、新たな命を吹きいれることが、(一般的な医療者が)聞きなれない言葉を導入するよりも、より受け入れられやすいのではないかとも思っています。

 しかし、これには人に伝わるように「語る」ことが必要ですが、これとても情報提供ではなく、自分の「内的リアリティ」を互いに共有できることとして、伝える姿勢が必要でしょう。医学・医療教育では、コミュニケーションスキルということが強調されますが、これは医療チーム間で、また医療者と患者の情報交換に重きが置かれ、加えられるとすれば「患者には優しい気持ちで接しましょう」という極めて真っ当なことに留まっています。

 先のDC手術の論文が現象学的な「内的リアリティ」を拠り所にしているように、現象学的発想は、(書物のみで現象学を学的に研究する場合より)現場の医療者には理解しやすいと思っています。エビデンスを「内的リアリティ」に関わるものとして捉えることは、医療現場に広がるスピードは意外に速いかもしれません。

 以上、「現象学的明証性とエビデンスをめぐって」へのコメントです。

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